合わせ鏡の芸術史──写真とAI画像がたどる「創造の宿命」

写真は、最初「芸術ではない」と言われた

1839年、フランスのルイ・ダゲールによって写真技術(ダゲレオタイプ)が発表されたとき、芸術界は大きな混乱に包まれました。

それまでの美術界では、写実的な絵画こそが芸術の頂点とされていました。そんな中、レンズを向けてシャッターを切るだけで、現実をそのまま写し取ることができる技術が現れたのです。

当然ながら、多くの画家たちはこの「写真」という新技術に対して激しく反発しました。
「こんなものは芸術ではない」「創造性がない」「機械に魂は描けない」──。
とくに、肖像画や風景画などを生業としていた職業画家たちは、写真に仕事を奪われるという現実的な恐怖も感じていました。


写真はどうやって「芸術」になったのか

しかし時代が進むにつれ、写真家たちは「ただ写す」ことから一歩進んだ表現を模索するようになります。

19世紀後半には、絵画的な構図や詩的な光の演出を取り入れた「ピクトリアリズム」という潮流が生まれました。
さらに20世紀に入ると、モダニズムや構成主義と結びつき、写真は独自の美学を獲得していきます。

やがて、美術館が写真作品を収蔵・展示するようになり、写真はついに「芸術」としての地位を確立します。

この過程が示したのは、「芸術に必要なのは手作業ではなく、創造性である」という事実でした。


生成AI画像──再び繰り返される「創造性」の論争

そして現在、またしても新しい技術が芸術の定義に揺さぶりをかけています。
それが、生成AI画像です。

テキストを入力するだけで、誰も見たことのない風景や人物画を数秒で描き出す──
この驚異的な表現力は、まるで「シャッターを押すだけで絵が完成する時代」の到来とも言えるでしょう。

そしてやはり、当初の写真と同じように、生成AIにも賛否が巻き起こっています。


芸術界と商業アート界の分裂

現代美術の分野では、AIによる創作がすでに積極的に取り入れられています。
AIを「道具」ではなく「共創者」として扱い、意図やコンセプトを込めた作品が多く登場しています。

一方で、イラストや漫画、広告といった商業アートの世界では、強い拒否反応が起きています。

「AIは盗作だ」「人間の努力を踏みにじっている」「絵を描く意味がなくなる」──
このような声は、かつての写実画家たちの言葉と驚くほど似ています。


芸術と職業、そのねじれた関係

この対立の背景には、「芸術」と「職業としての創作」という二つの立場のねじれがあります。

芸術は常に、新しい表現や手段を探し、時に破壊的な進化を選びます。
一方、商業アートの世界では、創作は“職業”であり、“生計”です。新しい技術が既存の仕事を脅かすとき、それは単なる表現論争では済まされません。

つまり、生成AIをめぐる批判の多くは、美意識の問題ではなく、経済構造と職能の変化に対する反応なのです。


AI画像は、芸術になりうるか?

答えは、おそらく「Yes」です。
なぜなら、芸術とは「人間が意味を見出したもの」であり、人間が創造だと認めれば、それは創造なのです

写真が芸術になるまでに約100年かかったように、生成AI画像もまた、時間と対話の中でその地位を得ていくでしょう。

今、私たちが問うべきなのは、「AIが描いたかどうか」ではなく、
その作品に、何を込めたのか。何を伝えようとしたのか、です。


新しい時代に、必要なのは対話である

AIが描いた画像を、芸術と呼ぶかどうか。
それを決めるのは、技術ではなく、私たちのまなざしです。

新しい表現が登場したとき、最初にすべきことは「否定」ではありません。
どう向き合うか、どう活用するかを考えること──
それこそが、私たちの創造性を試しているのではないでしょうか。


この記事は、Podcast番組「RADIO441」で配信された内容をもとに編集・再構成したものです。

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