こんにちは、皆さん。 今日は前回の続きとして、音楽生成AIの進化と、 その影響が私たちの音楽体験に どのように関わっているのかについてお話ししたいと思います。
約10年前から、 音楽生成AIはEDMやHipHopを中心に DTMによる楽曲制作に利用されてきました。 ドラムやベースの下敷き、 さらには気の利いたフレーズの生成など、 プリプロダクションの段階から多くの楽曲に取り入れられています。 実際、現在耳にしているヒット曲の多くに、 生成AIの痕跡があることをご存知でしょうか。
従来は、AIはあくまで素材やアイデアの一部として使用され、 人の手が必ず介在していたため、 大きな問題視はされていませんでした。 しかし、sunoやudioといったフル生成の音楽AIが登場したことで、 手を加える部分が減少し、 AIが選択と試行錯誤の大部分を担うようになりました。 これが「人が作ったものではない」という批判を生んでいます。
このような状況を考えると、 音楽における最適解を導き出すことは 人間が無意識に行っていることでもあります。
例えば、チェスや囲碁の棋譜には著作権がありません。 そして、AIが人の考え及ばない一手を生み出したのは、 実は既に10年前のことです。 この事実からも、 最適解は人の専売特許ではないことが示されています。
音楽においても、 AIが最適解を割り出す可能性があると考えると、 最終的な選択は人が行うにしても、 フル生成が必ずしも否定されるべきではないのではないでしょうか。 これまで部品提供だけをしていた会社が 完成品を作るようになったという捉え方もできるかもしれません。
ここで注目したいのは、アート界の動きです。
例えば、バンクシーの作品は、 型紙を使って壁にスプレーしたものですが、 そのシチュエーションや場所に意味があり、 美術界で高く評価されています。 彼の作品が普通のノートや紙の切れ端に描かれていたとしても、 今ではその価値は変わらないでしょう。
重要なのは、作品そのものよりも、作者の作家性、 すなわちそのバックボーンが評価の基準となっていることです。 これは今後の音楽界においても同様で、 ミュージシャンが作る音楽は、 そのミュージシャンのバックボーンが評価の基準となり、 AIが生成した音楽とは異なるマーケットを形成するかもしれません。
日常生活の中で、BGMとして聴き流す音楽や ダンスミュージックとして体を動かすための音楽であれば、 それはAIが生成したもので構わないのかもしれません。 音楽を音とビートとして消費するだけであれば、 強烈な背景は必要ないからです。
一方で、ファンやマニアが支持する音楽には、 ミュージシャンの存在が欠かせません。 ライブやイベントを通じてミュージシャンと 同じ時間を共有することは、 AI音楽にはできない貴重な体験です。 ファンたちは、その音楽を作り出したミュージシャンの バックボーンを重視し、 アーティストをリスペクトすることが求められるでしょう。
つまり、AIが作る消耗品としての音楽と、 アーティストが作る作品としての音楽の二極化が、 今後の音楽界を形作っていくのではないかと考えています。 この変化が、私たちの音楽体験にどのような影響を与えるのか、 非常に興味深いですね。それでは、また次回お会いしましょう。